B-STYLE

[身近なモノの取合せで暮らしを満喫する]  [時の経つのを楽しむ] [偶然を味方にする] それらをBスタイルと呼ぶことにしました。

2013/03/08

ビーフシチューには杉並の思い出がある

■久々にビーフシチューを作ってみた。
スネ肉が美味い。新しいアイデアとしてはジャガイモを塩味をきかせて別にゆで、その上にシチューをかけたこと。成功。

料理を始めたのは20代半ば。杉並に住んでいた。大工をしている大家さんの車庫の2階に住んでいたが、商店街が遠く食事が面倒だった。お金がなく、外食より作ったほうが経済的なのはわかっていたが、朝から晩まで人形制作をしていたので料理をする時間がもったいない。そこで思いついたのがシチュー。本を読んで本格的に作り始めた。

作るのは面倒でも1度作ってしまえば3日は料理をしなくてすむ。味も市販のシチューの元を使うのとではまるで違うので満足した。飽きたら途中からカレーにすればいいのだ。このために寸胴鍋まで買った。

■杉並時代は色んな意味で自分の人生の始まりだったと思う。部屋は舞踏家室伏鴻が住んでいたところを引き継いた。親戚だといえば礼金も敷金も必要ないと言われたからだ。近くには当時画家志望の村田康平がいた。幼児教育番組で活躍していたヒダオサム一家も越してきた。


ある時、六本木の中華料理店で働いている中学時代の友人がやってきた。人形を作っている私を見て「なんでお前がこんな馬鹿なことをしてるんだ。」と言われたことを覚えている。今では彼が言おうとしたことは理解できるが、当時は、自分考えた最も高貴で崇高な行為だと信じていた。毎日人形に胡粉を塗り、何日か経って乾いたら磨く。140センチぐらいの人形だったがこの作業の繰り返しが3年続いた。当時はこれを成し遂げないと、これまでの人生に決着がつかないぐらいの思いがあった。

またある時は突然窓の外から声をかけられた。「何をしてるんだ・・・。俺と一緒に暮らさないか。」

大家の屋根を直している職人だった。もちろんお断りしたが、今から考えると、当時の自分は宮崎駿の「魔女の宅急便」のような生活を送っていたのかもしれない(笑)。

大家のおばあちゃんからは、よく差入をしてもらった。宗教にも誘われた。おばあちゃんの宗教とは、みんなで集まって気持ちよく時間を過ごすことのように思えた。宗教ってこんな在り方もあるんだ、と思ったことを覚えている。

■部屋は3畳の台所兼仕事場と4畳半の小部屋。台所は壁も天井もレモンイエローに塗っていた(ターナーのネオカラー)。出てゆく時はさすがに申しわけないと思った。大家は大工なのだからと15000円だけ置いてきた。少なくともここに住んだ間にそれだけ払えるようになった私だった。冬の朝、流しにあったコップの水が凍っていたこともある住まいだった。

昔はよく料理を作った。しかし札幌に来てから作るのは酒のつまみだけ。ビーフシチューは年に1回ぐらいは作っている。スパイシーなトマト味が特徴。